美味しいということ
好きなお店があります。
わたしはタバコを吸うしお酒は飲まないし
ほとんどグルメとは思いませんが、
何度か友人と行ったことがあるイタリアンのお店を
美味しいなあと思っていました。
何ヶ月か前に、キノコとほうれん草のクリームパスタを注文しようとしたら
ほうれん草がなくなったので代わりにゴボウになります
と言われたときのショックといったらありませんでした。
ただその時間に食べられるもうひとつのメニューが
わたしが食べられない辛い何かだったために
ほとんど好きではなかったゴボウがフィーチャーされたそれを頂きますと言いました。
ところがほとんど好きではないと思っていたゴボウは柔らかくて瑞々しくて
そのお皿にお肉のおの字ものっていないことなど感じさせない手応えでした。
歯ごたえ?口ごたえ?
わたしはその日、これまでゴボウが好きではなかったのですが、
今まで食べた中で一番美味しいのを食べさせて頂きました
とお礼を言ってお店を出ました。
お店の人は、シェフに伝えておきますと、にこにこしながら頭を下げて送ってくれました。
先日またそのお店を訪れると、選び放題の二つのメニューは
いろいろお肉のたっぷりボロネーゼ(ボリューミィ)と
キノコとほうれん草のクリームパスタだと書いてありました。
クリームパスタが好きなわたしは、そこでクリームパスタを注文しない勇気がありません。
お肉が好きなわたしは、その日お肉を食べないで過ごす自信がありません。
それをそのまま口にしながら、うおおおおと言って頭を抱えていると
お店のお姉さんがやって来て言いました。
お話を小耳に挟んだのですが、シェフに尋ねましたところ、
クリームパスタに生ハムなどのお肉を足すことも、
ボロネーゼをクリーミーに仕上げることもできるそうですがいかがなさいますか。
(ボリューミィ)という説明を思い出し
わたしはクリーミーに仕上げたボロネーゼをお願いしました。
それはそれは美味しかったのですが、それ以上に嬉しい食事でした。
以前どこかで日本での心得を外国人に説明している文章を目にしたことがあります。
そこには、外国では例えホームパーティでも客は飲みたいものを聞かれるし、
用意がなければ自分が飲みたいものを持ち寄ったりするけれど、
日本では飲み物から食べ始めるタイミングまで
ホストが完璧にオーガナイズしたパーティを存分に楽しむのが良いでしょう、
注文をつけたりせずにお任せするのがマナーでもあります、とありました。
考えてみると、人の家にお呼ばれして何を飲みたいか聞かれたら、
まず何を頂けるのかを尋ねる気がします(わたしゃね)。
お店では、本日のメニューをわたし好みに変えてもらうなどとは
思いつきません(わたしゃね)。
お高級なお店に行くことはありませんので、
シェフが腕を奮います的な立派なお店に入ると、シェフさまが作ってくださるお料理のバランスを
庶民の舌に合わせていただこうなどとは思いつかないのが、わたくし庶民であります。
わたくしが庶民であるばっかりに、という話かもしれませんが、
その日お店のお姉さんが客の話に気を配っていたことと、もう一つ、
シェフが客のサービスをするお姉さんの提案に耳を傾けるようなお店だということが
そのお店をとても素敵だなと思った理由であります。
テレビで見たことがあるシェフのイメージがよくなかったのかもしれません。
技術がありセンスがあり、自信があるシェフさまは
その日の最高の食材を最高のお皿にしてみせます
という印象が頭にあるものですから、思い浮かべるのは
何言ってんの、キノコとほうれん草って言ってんだから肉なんか入れたら
バランス崩れちゃうじゃんとか
クリーム入れてオッケーなソースだったらボロネーゼじゃないじゃん
とか、裏でですぎた真似をしたお姉さんを鼻で笑うイメージです。
本当にごめんなさい。
一日に三回しかやってこないわたしの大事な食事のうちの一回を
最高の一回にしてくれました。
何年も前に三人で訪れた大阪の焼肉屋さんで
メニューにあるように「三人前」と注文したところ、
「五人前にしときな」と言ってとにかく色々なお肉がのった大きなお皿を出されたときも、
これまた何年も前に松山辺りの定食屋さんに入って壁のメニューを選んでいると
「お任せでいい?」とお任せうどんが出てきたときも、楽しいお店だなと思いました。
そういう勢い系の食事も好きですが
東京に来る友人を連れて行きたいと思うそのイタリアンは、
客がとても幸せな気分になるために、何かをしてくれるお店だと思いました。